mitoyoi

Just another Today.com weblog

&
 

Oct 26 2007

9.11がウイグル人にもたらした災難

Published by mitoyoi at 4:29 am under Uncategorized Edit This

 本当は昨日更新したかったのに……。スパムが……。
 というわけで昨日告知させていただいたとおり、ちょっと面倒にはなりますが、TBの際にはご自分の文章の中に当ブログのリンクをお願いいたします。面倒ですねえ。

 昨日はみなさまもご存じのとおり、9.11同時多発テロから5周年でした。私はあの日はちょうどNHKのニュースで、飛行機が貿易センタービルに突っ込むのをリアルで見ていました。
 アルカイダの仕業らしいというか、イスラムが絡んでいるとわかって、まず私が思ったのは
「中国はこれをウイグル弾圧の正当化に使うだろう」ということ。

 本当にその通りになったので、正直あきれてしまいましたが。それまでは対外的には独立運動があることや、独立派によるらしい爆破事件があることを公に認めていなかったのに(まあ、一部の勢力が、海外の勢力の影響でやっているというようないい方をしていました)、この事件をきっかけに中国も国内にイスラム原理主義の問題を抱えていること、ウイグルの独立運動はアルカイダやタリバンとつながっているということを盛んに宣伝しはじめたのです。

 ただ、当初、欧米のほとんどの国はこれを認めなかったのですよ。みんなウイグルの独立運動と、イスラム原理主義の活動は別だというのはわかっていましたから。ただ、その後、アメリカが報復のためのアフガン攻撃だけでなく、イラク攻撃もしようとしたこと、中国が国連常任理事国であったことから、話がウイグルにとっては悪いほうに転がっていきました。

 アメリカが中国にイラク攻撃を認めさせようとして、ウイグルの独立運動組織のうち「東トルキスタン・イスラム運動(正式な名前はトルキスタン・イスラム党といいます。東トルキスタン・イスラム運動というのはテロ組織っぽく見せるためかどうかまではわかりませんが、中国当局が勝手につけた呼び名です)」をテロ組織に認定してしまったのです。そのために、国連もこれに追従しました。それについては過去のエントリでもとりあげています。長いですがよろしかったらごらんください。

国際情勢に合わせてコロコロと態度を変える恥知らずな中国政府!
国際情勢に合わせてコロコロと態度を変える恥知らずな中国政府! 2
国際情勢によってテロ組織にされてしまった東トルキスタンイスラム運動

 ほかにも、ハサン・マフスムで検索すると関連するエントリが出てくると思います。

 この長い過去エントリにも書いたのですが、これについては不自然なところが多く、実際この組織のメンバーで国連に難民認定されている人は何人もいるのです。ただ、私がそれを追求した記事を書いたところ、逆に中国が国連にクレームをつけ、国連が一度した難民認定を取り下げかねない騒ぎになってしまったのでした。国連が意外と軟弱だったので、私もとりあえず今はおとなしくしています。

 しかし、こういうことがあることはみなさまにも知っていただきたい。確かに東トルキスタン関連組織は国際社会でテロ組織扱いされましたが、それはあくまで米中の取引だったと思っています。実際は国際社会ではテロ組織とは扱われていなく、人権問題の被害者とされていることは、みなさまには忘れないでいただきたいです。たとえ日本の大手新聞社が、東トルキスタン組織はテロと認定されていると繰り返し書いてもね。

 アメリカがその後、ワシントンに東トルキスタンの亡命政府の設立を認めたのも、中国にあれは取引に過ぎないから調子に乗るなというけん制だったのではないかと思います。というのは実際本気でその亡命政府を支援したり、独立を支援したりする様子は全くありませんから。まあ、世界のさまざまな国に民族問題は存在しているのですから、東トルキスタンにだけ肩入れするというわけにもいきません。この問題はパンドラの箱だったり、やぶ蛇だったり、ややこしいのです。残念ながら私もそれぐらいは理解しています。

 それでも、私はあまりにウイグル人と漢民族は違い過ぎますし、同じ国でいるのは無理がありすぎると思うのです。歴史的にも東トルキスタンが今のような形で中国の支配下に入ったのは清朝時代です。でも清朝末期から中華人民共和国が成立するまで、東トルキスタンでも猛烈な内戦が続き、2回は東トルキスタンという国が成立したのです。

 歴史だけではないんですよ。何しろ顔だけじゃなく、言葉や文化も違い過ぎ。あれじゃあ、それぞれの人権や文化に配慮して、同じ国でいようとしても無理です。中国が民主化しても難しいと思います。
 それに今東トルキスタンにいる漢民族のほとんどは移民で、みんなホームシックになっているのですから、別々の国になって交流するほうが互いに幸せだと私は思うのです。いつかそうなることを本気で願っています。

※9.11があってもなくても、中国はウイグル人を同じように弾圧していたと思います。ただ、うまい口実が見つかったので、それに乗ったということです。
 9.11があったために、アメリカがアフガンを攻撃し、中国から逃げ込んでいたウイグル人の活動家を追いつめてしまいました。中にはハサン・マフスムのように死に追いやられた者もいます。そういう意味では9.11がないほうが、ウイグル人活動家にとってはよかったのかもしれません。

 テロは結局はイスラム教徒自身を追いつめてしまいます。何の解決にもなりません。でも何もしなかったからといって、世界がイスラムの現実に積極的に目を向けるとも思えませんしねえ。
# by akiko_os | 2006-09-12 14:40 | 東トルキスタンニュース牛街の奇跡

 最近、毎日新聞の中国特派員・支局長などをつとめた上村幸治氏著の『中国路地裏物語』(岩波新書)を読みました。1990年代に出版された本ですが、私がこよなく愛した1990年代後半の北京の南部に広がる路地のことがよく描かれていて、涙が出そうになるような本でした。

 私の定番散歩コースだった北京きってのイスラムスポット牛街(牛街礼拝寺というモスクがありました。そもそも豚肉を忌むムスリムのために牛肉が売買されたため、この地名になったといわれています)、虎坊橋、天橋のことにもちょっとだけ触れられていて、興味深かったです(単行本だったらもっと字数が割けたんでしょうが)。このあたりは北京では下町にあたるのでしょう、昔ながらの路地や建物や生活習慣や居民委員のおばさんの恐怖もそっくり残る、風情あふれる地域でした。

 北京の下町といえば、エンジュの木が印象的です。夏の暑苦しい北京の夜長、漢民族の知り合いと、エンジュの木の下で語り合ったものです。
「俺の故郷じゃこの花を食べるんだよ。かあちゃんが餅に入れてくれたもんさ、ほんのり甘くておいしいよ」、なんて思い出話を聞きました。

 本当に何でも食べるのね……。

 現在私が仕事場にしているところの窓辺には、ハリエンジュの木が生い茂っているのですが、それを見るたびにこのエンジュの木の下の夜を思い出す私。

 ただ、虎坊橋はその昔刑場があったところで、清末には妖怪が出ると恐れられていたようです。また、私がよく羊の串焼き肉を食べに行っていた牛街の近くにも刑場だったといわれているところがありました。実際、そのすぐ近所で麻薬の売買がなされていたんでございます。

 そのあたりには、古いれんが造りのみすぼらしい平屋が立ち並び、農村からの違法な農民が住み着いていました。生粋の北京っ子の女の子は、あのあたりを通ると誘拐されるなんていうので、送っていってあげたことがなんどもあります。地方からの直訴民たちが居座っているという直訴村もそのあたりだと思います。

 話を上村幸治氏の本に戻しますが、この本の最後は「魏公村の奇跡」というエピソードで締めくくられています。北京の中心から北西あたりに位置する魏公村は今ではゴージャスなマンションが建っていますが、その昔は出稼ぎウイグル人の巣窟だったところです。

 ちなみにそこからそれほど遠くない甘家口もウイグル人街だったところでして、世界ウイグル会議で秘書長をやっていて、中国が東トルキスタンテロリストナンバースリーに指定するドリクン・エイサ氏はここで食堂を営んでいたのです。英語を解する氏の食堂は留学生に大人気でしたが、それを当局から外国人に機密情報を提供する情報センターを運営していると因縁をつけられ、ドリクン氏は亡命しました。ちなみに、ドリクン氏は飛行機で亡命しています。

 あと、北京には五道口という出稼ぎの朝鮮族のたまり場もございましたが、ここも治安が悪くて有名でした。日本人留学生がここで行方不明になり、ついに発見されていません。というように北京でも同郷者は何かと集うのですが、少数民族の巣窟は何かと犯罪の温床のようにいわれていました。これは民族にも気の毒な点がありました。漢族とは容姿が違うので、どうしても目立ってしまい、犯罪のシンボルのように扱われてしまうのです。

 ただ、東トルキスタン本土のウイグル人たちも「上海や北京に出稼ぎに行くウイグル人なんて極悪人ばかりだ」なんていってますからねえ。そういう傾向はあるのかもしれません。

 この魏公村に出かけ、ウイグル人の店で食事をしたものの、大切な手帳を亡くしてしまった上村氏。ところが忘れたらしいお店から取りにきてくれと電話があり、これを取り戻すことができたのです(というか、日本の大マスコミの特派員が魏公村で食事していたなんて、驚きだあ)。

 賄賂や謝礼にうるさい中国にあって、手みやげを忘れた上村氏は慌てて現金を包みましたが、出てきたウイグル人の少女は「困ります」といってがんとして受け取りません。

 仕方ないのでウイグル人のパン(ナン)を買って、100元札を出しました。これは、ちょっとうろ覚えですが、このナンが50枚ぐらい買える金額だと思います。少女はおつりを出すというし、店主もつりを受け取れというのです。上村氏は100元札を放り出して、走って店を後にしました。というか、ウイグルの商店では100元札を出す客はあまりいませんから、つりをかき集めている間に、上村氏に逃げられてしまったのではないでしょうか。

 上村氏はそのあとで「中国人の拝金主義を批判しながら、自分も人の親切に金で答えようとしている」とどっと落ち込んだそうでございます。
 この話を上村氏が知人にしたところ、みな一様に「奇跡だ、信じられない」と答えたそうです。「あの町で、財布をとられたという話なら、しょっちゅう聞くけれど」といわれたそうです。

 たしかに、私が滞在しているときも、魏公村で銃を見かけたという話は聞きましたし、麻薬が売買されていたのは間違いないと思います。1995年の週刊朝日に(さすがにこれはとってないんですが)、北京の第二外語大学に留学していた日本人女性が、麻薬のやりすぎで死んだようだという記事が出ましたが、魏公村はこの第二外語からも非常に近いところで、私は彼女はここでで買っていたと確信しています。

 まあ、そのころは上述のとおり、北京の南部でも売人の出るところがありましたし、北京のあちこちで麻薬の売買はされていたようです。今もそうだと思います。

 しかし、その魏公村で生きるウイグル少女がこのような態度だったというのです。
 私も同じような経験をしたことがあります。北京南部の牛街の羊の串焼き屋台に私はよく通っていました。ここで、屋台で働くウイグル人たちは、毎度はさすがに無理にしてもしょっちゅう焼き肉を負けてくれたのです。友達だからいいんだと。羊を負けないときは、近くでビールを買ってきてくれて、お金は受け取らないのです。

 彼らの月収は300元(4500円)ぐらいだったと思います。まあ年収1万円の故郷に比べればはるかにマシとしても、北京では最低賃金だったはずです。そんな彼らが日本から来た私たちにいつもごちそうしてくれていたのです。

 私もいつもそれではまずいと思い、彼らの目を盗んでビールを買ってあげようとしたのですが(厳密にはイスラム教徒にビールは御法度ですが、北京できびしい生活をしていたこの少年たちは、お酒やヘロインで憂さをはらしていました)、見つけると、いいからあんたは座ってろ!と阻止されてしまい、結局彼らが自分で買ってきてしまうのです。

 私が女性だからだろうと勘ぐる人もいるかもしれませんが、よくいっしょに行っていた日本人の男性らに対してもそうでした。

 ここに出入りする少年の中には、ナイフを自分の友とし(本田恭明でしたっけ?)、すりやひったくりに明け暮れていた子もいました。しかし、その少年も私や友人から何かを奪おうとはしませんでした。

 あと、昨年NHKの『新シルクロード』を見ていたところ、視聴者からのシルクロード体験を紹介していましたが、そのような体験談がありました。現地のウイグル人の子供があなたは友達だから受け取れないと、商品だかロバ車の乗車賃だかの受け取りを拒否したとかそのような話でした。

 東トルキスタン本土で都市部に住んでいたり、大学などのまともな単位に努めていたりする人はまずそんなことはありません。日本のカメラを買ってくれ、テレビを買ってくれ、ビデオを買ってくれと、友達だからいいじゃないと法外な要求をされたことはよくあります。彼らの場合友達とはそういう存在なのです。病気で大都市の病院に入院する妹に日本の時計を餞別に送りたいといわれたので、送ってあげましたが、お礼の電話ひとつかかってきませんでした。

 こっちが携帯電話を持っていると、ちょっと貸してといって、料金の限りしゃべり尽くしてしまうのです。そのころは、中国では携帯はすべて前払い、しかも電話局に直接払いに行かねばならず、引き落としとか振込なんてサービスは使えなかったので、料金を使い切られると本当に困ったものです(ただ、この料金しゃべりつくしはウイグル人に限ったことではありません。漢族もカザフ族も皆同じでした)。

 そういう人たちより、はるかに貧しくて、教育もろくに受けておらず、知識もないウイグル人たちのほうが、損得より友情を重んじるところがあったのです。まあ、情報というのも麻薬みたいなものですけれどもね。知らなければ幸せでいられるし、知ってしまうと離れられなくなってしまいます。

 これは上村氏に限らず、私にとっても「牛街の奇跡」とするところであります。ウイグルという民族がもともとそういう人たちであったのが、たまたまそのウイグル人たちの家庭環境や持って生まれた性格がさせたことなのかはなんともいえませんが、私には忘れられないエピソードです。
# by akiko_os | 2006-07-05 00:01 | 東トルキスタンニュース

Share and Enjoy:
  • Digg
  • Sphinn
  • del.icio.us
  • Facebook
  • Mixx
  • Google

Trackback URI | Comments RSS

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.
Not A Member? Register for Free!

Some Today.com contributors may have received a fee or a promotional product or service from a manufacturer for promotional consideration, while others receive no consideration at all. Each contributor is responsible for disclosing any such promotional consideration.